世界の歌姫 悔やまれる訃報

★写真は当時のツアーパンフ。

 ホイットニー・ヒューストンが亡くなった。48歳。音楽界にもうひと花咲かせてもらいたかった。
 1993年秋、場所は名古屋。絶頂期のホイットニー・ヒューストンの歌声を聴けるチャンスに恵まれた。自身の歌声の持つパワーを弄ぶかのように、笑い声を交えながら余裕で歌うコンサートだったように記憶している。あのハイパワーが炸裂する歌声を期待していた人たちは、このリラックス感にきっと拍子抜けしたことだろう。私もその一人だった。しかし、ホイットニーがゆったり楽しむコンサートに、突然サプライズがやってきたのだ。旦那様のボビー・ブラウンが、一年前に生まれた愛娘さんを腕に抱き抱えながら現れたのである。そしてマイクを持つホイットニーに近づき、ステージの上で抱き合い満面の笑み。家族三人が浮かべたあの笑み。とっても幸せそうだった。しかし、人生経験の浅かった私には、遠い世界の人たちの幸せとしか思えず、ここでも期待していた気持ちを抱けなかった。この「幸福感」を感じられたから価値あるコンサートだったのだが、やはり、私のような若輩者には、ホイットニー・ヒューストンという世界のトップスターを理解するなどということは到底出来ず、私の心は不完全燃焼でコンサート会場を後にすることになった。
 この後のホイットニーは、90年前後のような活躍が減り、何度か再起を図るのだが、どれも単発に終わり、後が続かず。そして今回の訃報である。

 私はホイットニーの「So Emotional」、「I’m every woman」などで聴かれる疾走感溢れるなかで一気に伸びていく歌声が好きだ。例えるなら、疾走している車がどんどん加速していき、エンジンが高回転になったときにグッとアクセルを踏み込み、さらにスピードをあげるような感じだ。車はもちろんハイパワーを誇るアメ車。有名になると、たいていは模倣者が現れるものだが、ホイットニーの場合は現れなかった。歌手としてのレベルが高すぎて真似ができなかったと考えられる。こういうアーティストはまず存在しない。極めて稀な逸材だったことが今になってわかる。
 今、あのときのコンサートを楽しめなかった自分を後悔している。もう世界一流の歌声を生で聴けないのである。もうひと花咲かせてもらいたかった。急逝が惜しまれる。
Rest in piece.


2012/02/13 Category | blog 



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